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福岡地方裁判所 昭和41年(ワ)1101号 判決 1973年1月30日

原告(亡岩部一郎訴訟承継人兼原告) 岩部志津子

原告(以下原告四名は亡岩部一郎訴訟承継人) 岩部実

<ほか三名>

以上原告訴訟代理人弁護士 諫山博

同 林健一郎

同 川渕秀毅

被告 笠喜八

右訴訟代理人弁護士 松本成一

被告 国

右代表者法務大臣 田中伊三次

右指定代理人法務事務官 江口行雄

<ほか六名>

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、申立

(原告ら)

「被告らは、各自原告岩部志津子に対し金五六五万円、原告岩部実、同岩部啓子、同岩部由美子、同岩部敬文に対し、それぞれ金七〇万円及び右各金員に対する昭和四一年一〇月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに第一項につき仮執行宣言

(被告ら)

主文と同旨

第二、主張

(請求原因)

一、亡岩部一郎は亡岩部幹男の父で洋服仕立業を営んでいた者、原告岩部志津子は亡一郎の妻で亡幹男の母である。被告国の行政庁である建設大臣は昭和四〇年四月一日の新河川法施行以来一級河川たる筑後川の管理者であり、被告笠喜八は、砂利採取業者であって建設大臣から管理の権限の委任をうけた福岡地方建設局長の許可を得て昭和四〇年八月二三日当時筑後川水系筑後川筋久留米市篠山町地先で、砂利採取を行っていたものである。

二、亡岩部幹男は前同日午後三時頃筑後川の久留米市篠山町地先において遊んでいるとき、被告笠喜八が砂利採取をして作った川底の深みに落ち込み、同日午後三時三〇分溺死した。

三、本件事故発生現場は川岸からすぐ近くであり、しかも附近は久留米市では有名な浅瀬でもあって近所の子供達がときどき水遊びにくる場所である。したがって、かような場所で砂利を採取する者は、川底に深みを作ったまま放置し且つ附近に人々の注意を促すための標識を立てるなど危険防止の措置をとらないならば、前記の如き事故の発生することは容易に予想されるにもかかわらず、被告笠喜八は川底の深みを放置し、且つ標識を立てる等の危険防止の措置もとらなかった者であるから、同人は前記事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。

四、また、被告国も次の事由により国家賠償法第二条第一項にもとづき前記事故による損害を賠償すべき義務がある。

(一) 前記川底の深みは被告笠喜八が砂利を採取したため出来たものであるが、同被告は昭和四一年七月一日に一級河川である筑後川の管理者たる建設大臣から管理権限の委任をうけた福岡地方建設局長の許可を得て、その監督のもとに右砂利採取を行っていた者である。既述のとおり、若し川底の深みを放置し、しかも危険防止の標識を立てる等の措置をとらないときは、前記の如き事故発生の危険があるから、建設大臣には深みをすぐ平らにするとか、危険防止の標識を立てる等の措置をとって、事故発生の危険を未然に防止すべき管理責任があるにもかかわらず、その措置をとらなかったものである。したがって被告国も前記事故につき国家賠償法第二条第一項により損害賠償の義務がある。

(二) 仮りに、亡幹男が落ち込んだ深みが被告笠の砂利採取によりできた深みではなかったとしても、前記事故現場は川岸からすぐ近くであり、久留米市内では有名な浅瀬であって、近所の子供達がときどき水遊びに来る場所であるのに、しばしば被告国の許可、監督のもとに砂利採取が行われ、そのため川底の各所に深みが出来ていたのであるから、筑後川の管理者である建設大臣には深みをすぐ平らにするとか危険防止の標識を立てる等の措置をとるべき義務があるのに、これを怠ったため前記事故の発生を見たものである。したがって、いずれにしても被告国は前記事故につき国家賠償法第二条第一項による損害賠償義務を免れないものである。

五、亡幹男は昭和二六年五月三〇日生れで前記事故当時一四才三ヶ月の健康な男子で事故にあわなければ五四・〇五年の全国平均余命があり、満一八才から六〇才まで四二年間は一般の労働者として稼働可能であって、その間生活費を差引き毎年一定の純収が得られる筈であった。ところで昭和四〇年度全産業労働者の平均月額給与は労働省の調査によると金三万九三六〇円であるから年間給与総額は金四七万二三二〇円となるところ、全国平均年間個人消費支出額は経済企画庁の調査によると、昭和三八年度で金一一万九四八〇円であり、同じく経済企画庁の調査によると消費物価数は昭和三五年を一〇〇として昭和三八年が一二一、昭和四〇年が一三五・二であるから右消費物価数によって前記昭和三八年度の個人消費支出額を調整すると、昭和四〇年度個人消費支出額は金一三万三五〇一円六〇銭となるから亡幹男の年間の得べかりし利益は金三三万八八一八円四〇銭となる。この額を基礎にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して一八才から六〇才までの四二年間の得べかりし利益を計算すると金七五五万三三〇〇円となり、この金額が亡幹男の前記事故により蒙った損害となる。原告岩部志津子と亡岩部一郎はいずれも亡幹男の直系尊属たる相続人として幹男の取得した前記損害賠償請求権を各自その二分の一宛各金三七七万六六五〇円の限度で相続した。

六、原告岩部志津子、亡一郎間には亡幹男のほか実(幹男の兄)啓子(同長姉)、由美子(同次姉)、敬文(同弟)の子供があるが、その中でも幹男は性格も真面目で、ファイトのある子供であり、両親としては特に将来を期待し深い愛情を抱いていた。したがって幹男の不慮の死による両親の失望落胆は甚だ深刻であるが、被告らは前記事故による幹男の死亡につき原告らに対し極めて不誠意に終始し、何ら精神的慰藉の方法を講じようともしない。以上の諸点を考慮すると原告志津子、亡一郎に対して各金五〇万円をもって慰藉するのが相当であるところ、岩部一郎は本訴係属中の昭和四四年一二月二三日死亡したため同人の被告らに対する損害賠償請求権四二五万円(前記幹男相続分金三七七万六六五〇円のうち金三七五万円と一郎固有の慰藉料請求権金五〇万円の合計金四二五万円)につき、妻である原告岩部志津子がその三分の一に当る金一四〇万円(一〇万円未満切捨)、子であるその余の原告らがそれぞれその六分の一に当る金七〇万円(一〇万円未満切捨)を相続した。

七、よって被告らは、各自、原告岩部志津子に対し金五六五万円(同人固有の請求分と一郎相続分を合算した額)、その余の原告らに対し、それぞれ金七〇万円とこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四一年一〇月九日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの主張に対する答弁ならびに再抗弁)

一、本件事故現場は学校から水泳禁止命令が出ていた場所である事は認めるが、日本住血吸虫発生区域であるため寄生虫病予防法第三条による水泳禁止区域である点は知らない。

二、被告笠喜八主張の和解契約の成立したことは認めるが、和解につき次のとおり抗弁する。

(一) 被告笠主張の和解は、被告ら関係者が我が子を亡くして落胆している亡岩部一郎に対し、和解に応じなければ身体に危害を加えかねまじき勢威を示して執拗に示談を迫り、本来数百万円にのぼる損害賠償責任があるのに、わずか金一〇万円でその余の請求権を放棄させたものであって公序良俗に反して無効である。

(二) 前記和解契約は、被告笠も主張するように、水死の原因たる河底の深みは被告笠の砂利採取とは無関係である、すなわち被告らには責任がないことを双方合意のうえ締結されたものであるが、事実は被告らに責任があったのであるから亡岩部一郎の意思表示には要素の錯誤があり、和解契約は無効である。

(被告笠喜八の答弁ならびに抗弁)

一、請求原因第一項の事実ならびに同第二項中亡岩部幹男が昭和四〇年八月二三日筑後川の久留米市附近で遊んでいたこと及び同人が同日死亡したことは認めるが、その余は争う。本件事故発生現場は被告笠喜八が九州地方建設局より砂の採取を許可されてこれを実施していた場所から数十ないし数百米上流であり亡幹男の死亡と被告笠の砂採取とは無関係であって被告笠には責任がない。のみならず事故現場附近は日本住血吸虫発生区域であるため、寄生虫病予防法第三条による水泳禁止区域であり、また、筑後川、宝満川の合流点であるため渦や深みができ易く、更に従前より常時砂の採取が行われてきた関係で誰も泳いだり水に入ったりしない場所である。したがって、かような場所で被告笠に事故の発生を予見すべき義務または予防すべき義務はない。

二、仮りに被告笠になんらかの責任ありとされるなら、次のとおり主張する。

(一) 原告岩部志津子、亡岩部一郎の両名は事故後の昭和四〇年一二月四日または八日成立した和解により亡幹男の死亡事故について一切の請求権を放棄している。もっとも右和解書には原告岩部志津子の記名押印はないが、一二月四日岩部方において和解が成立し和解金一〇万円の授受が行われた際に原告志津子も同席し何らの異議を述べず右和解を了承しており、更に同月八日筑後川工事事務所長に和解成立の挨拶に行ったのは原告志津子本人であり、亡一郎のみならず原告志津子も右和解を了承して請求権を放棄していたものである。したがって亡一郎の相続人であるその余の原告らについても被告笠に亡幹男の死亡事故につき何らの請求権を取得するに由ない。

(二) 仮りにしからずとされるなら、亡幹男は死亡当時一四才中学二年生であったし、前記のとおり事故現場附近は水泳禁止地区で学校から水泳禁止命令が出されていたところである。したがって亡幹男は学校からの右命令の趣旨は充分理解していた筈であるし、また、附近居住者の常識として筑後、宝満両川の合流や砂採取のため深みがあって危険なことは充分知っている筈である。よって被害者亡幹男の右の重大な過失は損害額の算定につき斟酌さるべきである。

(被告国の答弁ならびに抗弁)

一、請求原因第一項の事実ならびに同第二項中亡岩部幹男が昭和四〇年八月二三日筑後川で遊んでいたこと及び同日死亡したことのみを認め、その余の事実は争う。

本件事故現場は被告笠喜八が砂を採取した跡の深みではなく、被告笠の砂採取と本件事故とは関係がない。されば被告国に対する損害賠償請求はその根拠を欠くものである。のみならず、被告国には原告ら主張の如き河川管理の瑕疵はない。河川管理の目的は河川の本来の機能を良好な状態に維持すること、換言すれば、河川について洪水、高潮による災害の発生を防止し、河川を適正に利用させ、流水の正常な機能を維持することにある。水泳者等の河川の自由使用者は右河川管理の結果河川を利用する事実上の利益を有するが、それはあくまで反射的な利益に過ぎず、河川管理者としては、水泳場等事故発生が懸念される特段の事情が存する場合を除き、一般的直接的に自由使用者に対する関係で河川管理責任を負うものではない。筑後川の本件事故現場附近一帯は日本住血吸虫病を媒介する宮入貝の多産地帯であり、危いからということで学校等から毎夏水泳禁止区域として指定されており、附近で水泳する者など殆ど見当らなかった場所である。したがって右のように水泳等の自由使用者が通常予想されない流域においては、水泳者に対し原告ら主張のような危険防止の措置をとらなかったからと言って、直ちに河川管理に瑕疵があったとはいえず、かえって右のような状況下においては水泳者等は自己の責任において自由使用をなすべきものと解すべきである。なお、本件砂利採取許可条件の一つに砂利採取後の掘削跡地の整地があるが、これは砂利採取完了後河川管理員等の実地調査により、その指示等を待ってなされるものでその目的は乱流による河岸の堤防等の決壊を予防することにあり、水泳等の自由使用に対する危険防止を直接の目的としているものではない。

二、仮りに本件事故について被告国に何らかの責任があり、被害者及び原告らの受けた損害を賠償する義務があるとしても当時一四才の中学生であった亡幹男において本件事故現場附近が危険で水泳禁止区域である事を充分了知しながら敢えて岸よりかなり離れて水中に入るという危険をおかした事は被害者である亡幹男にも重大な過失があり、その父母である亡岩部一郎、原告岩部志津子においても亡幹男が右のような行動に出ることにつき何ら特別の注意をしなかったことは親権者として子の監督を怠った過失があり、これらの事情は過失相殺として損害賠償額の算定につき斟酌さるべきである。

第三証拠≪省略≫

理由

一、亡岩部一郎が亡岩部幹男の父で生前洋服仕立業を営んでおり、原告岩部志津子が亡一郎の妻で亡幹男の母であること、被告国の行政庁である建設大臣は昭和四〇年四月一日の新河川法施行以来一級河川たる筑後川の管理者であり、被告笠喜八が砂利採取業者であって建設大臣から管理の権限の委任をうけた福岡地方建設局長の許可を得て昭和四〇年八月二三日当時筑後川水系筑後川筋久留米市篠山町地先で砂利採取を行っていたこと、亡幹男は同日筑後川で遊んでいて死亡したが、当時亡幹男は一四才で中学二年在学中であったこと、事故現場附近は学校から水泳禁止命令の出ていた場所であること及び幹男死亡後被告笠と亡岩部一郎との間に、被告笠から和解金一〇万円を支払い、亡一郎は幹男の死亡事故について一切の請求権を放棄する旨の和解契約が成立したことは当事者間に争がない。

二、原告らは、亡幹男は被告笠が砂利採取をした跡の深みに落ち込み溺死した旨主張するので検討する。

≪証拠省略≫によれば、亡幹男の死亡日時は前同日午後三時三〇分頃、死因は溺死の推定をうけていることが認められるが、亡幹男が被告笠の砂利採取跡の深みに落ちこんだものと認めるに足りる確たる証拠はない。すなわち事故当日の捜索船の写真であることに争のない甲第四号証と証人田中利雄の証言及び検証の結果によれば、証人田中利雄は亡幹男と同学年の友人であるが、前同日昼頃亡幹男ほか二名の友人と一緒に筑後川の久留米市側の川岸に魚釣にでかけたところ、仲々釣れなかったので場所を異動して被告笠が砂採取のため設置していたショベルのある附近に来た、幹男は他の友人達と裸になって相撲を取ったり、水に入ったりしてはしゃぎ廻っていたところ、余り泳げなかったせいもあって急に岸から八米位のところで深みにはまり四米位流されながら頭を二回位あげたが、そのまま上ってこないので驚いて近くでトラックに砂をあげていた人に知らせた、幹男の溺れた地点は甲第四号証の船の停っていた所より少し手前である旨述べていて、この供述から亡幹男の溺死地点を、被告笠の砂採取の許可区域を図示した≪証拠省略≫にてらして見当づけると、被告笠が砂採取用サンドポンプを設置した地点に近接しているが、他方、証人久富又一の証言によると同証人は昭和二七年から渡船の船頭をしていて附近の状況にくわしく、事故当時も対岸に行っていた渡船の船上から溺れかけていた亡幹男の頭を発見して急ぎ船を寄せ捜索に当ったが発見できなかった、それというのも流れが相当急だったためで深みにはまって溺れたものと思うが、場所は被告笠の砂採取地点ではなく、それより二〇ないし二五米も上流の場所で以前「いさ山」という砂利採取業者の採取していたところである趣旨を供述している。事故当時の目撃証人の証言自体に右の如きひらきがあり、事故発生の現場について証言しているその余の証人はいずれも時間の差はあってもその後事故を知って現場にかけつけたもので、なんらかの形で前記証言を基礎に自己の推測を加えて、それぞれ事故地点について異った供述をしており、その是否いずれに決すべきか去就に迷わざるを得ず、事柄の性質上止むを得ない面もないではないが、結局事故現場を正確に確定することはできず、被告笠の砂採取と亡幹男の溺死を関係ずける確たる資料はないというしかない。

されば爾余の争点につき判断するまでもなく、原告らの被告笠喜八に対する請求は失当たるに帰する。

三、次に、原告らの被告国に対する請求について考える。原告らは、仮りに亡幹男が被告笠の砂採取跡の深みに落ち込み溺死したものではないとしても、前記事故現場附近は久留米市内では有名な浅瀬であって近所の子供達が時々水遊びに来る場所であるのに、しばしば被告国の許可、監督のもとに砂利採取が行われ、そのため川底の各所に深みが出来ていたのであるから、筑後川の管理者たる建設大臣には深みをすぐ平らにするとか危険防止の標識を立てる等の措置をとるべき管理責任があるのに、これを怠ったため前記事故が発生したものであり、したがって被告国は国家賠償法第二条第一項により損害賠償の義務がある旨主張する。

しかしながら、≪証拠省略≫を総合すると、

現場附近は宝満川と筑後川の合流地点であるが、昭和二二、三年頃までは久留米市側の方は川の中央附近まで遠く浅瀬で恰好の水泳場として学校からも指定され、夏など水泳する人で賑っていたこと、ところが昭和二二、三年頃から日本住血吸虫の中間宿主である宮入貝が附近に生息するようになって、以後日本住血吸虫病の発生を避けるため水泳禁止地区に指定されて学校などでは厳しくその徹底を計ってきたが、それは久留米市側のみならず、対岸の佐賀県鳥栖市側でも同様であったこと、そのうち許可を受けて、砂利採取業者が砂利の採取をはじめるようになって従来遠浅であった久留米側の川岸も諸方に四・五米にも達する深みができて地形も変り、前記のように宝満川との合流のため渦を生じたり、少し大水が出ると深みがならされたり、新しく作られたりで川底の地形の変化が烈しくなったため附近住民の間では危険だから泳いではいけないという注意が徹底してきて夏でも魚釣りや夕涼みに出る位のことはあっても水に入って泳ぐというようなことはなくなったことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

以上認定した如き事情のもとでは、原告ら主張の如く砂利採取跡の深みを平にするとか危険防止の標識を立てるなど危険防止の措置をとらなかったことが直ちに河川管理の瑕疵に当るとは解し難い。けだし国家賠償法第二条第一項にいう管理の瑕疵とは周囲の環境や通常の用法との関係を考慮して具体的に決定されるものであって前段認定の如く一般的に水泳禁止地区で水に入る人のあることまで予想して河川の管理をなすべきものとは解し得ないからである。およそ河川管理の目的は、河川について洪水、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され及び流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合的に管理することにより国土の保全と開発に寄与し、もって公共の安全を保持し且つ公共の福祉を増進することにある(河川法第一条)から、河川の水泳禁止の場所で砂利採取を許可すること自体はなんら河川管理権の行使を誤ったものとはいえないし、採取跡地の整地等もさきの目的にしがたい乱流による河岸の堤防の決壊防止などの観点からなされれば足りるのであって、水泳禁止地区で水泳者のあることなど通常予想し得ない事由まで予想して河川管理に瑕疵があったかどうかを定めるべきものとは考えられないのである。したがって爾余の争点に言及するまでもなく、被告国に対する原告らの請求も失当として排斥を免れない。

四、以上の次第であって原告らの本訴請求を失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 麻上正信)

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